ローカルネタなんだけど、いっぱいお世話になった山田会館が閉鎖になりました。
最終日も顔出しするつもりだったけど、それもかなわず。
自分のクライミングの何かに区切りがついたって感じ。
過去の記録を見直すのが面倒なので、記憶を頼りに回想。
初めて行った山田会館は虎の穴的な雰囲気で、とても怖いとこでした。
自分が行きはじめた頃は、館長、イトーさん、俺さん、しげおさん、おしょうさん、リョージ君等々の強烈な面々が登ってました。
まったく歯が立たずに怖いなーと思ったのを覚えてます。
「誰だこいつ?」みたいな目で見られたっけ(笑)
ほどなくして通うようになり、週2で会館、週末は外岩という生活が続いた。
自分の実力は一気に伸び、今でもそのころの自分が一番強かったと思う。
会館では殆ど人が来ない冬の時代とかも多かった。
自分、ミゾ、俺さんくらいの日々が続いたり。
一人だけで登ってる日もあったし、行って明かりがついてないの見て帰った日もあった。
飽きっぽい自分はクライミングを殆どしなくなった時でも会館には顔出ししてた気がする。
でもだらだらと続けてるって感じは否めなかったかも。
会館に通ってるうちに館長の人柄がとても好きになったなぁ。
家の大黒柱でありつつ、自由な雰囲気が漂ってて。
ほんと長い間ありがとうございました。
----ついでに自分のクライミングも振り返り----
自分は会館があったから強くなれたんだろうな。
でも強くなるにしたがって、一緒にセッション出来ないっていう孤独感も強くなっていった。
強くなるには(周りの)人が大切ってのは誰しも言うけど、自分はそこで心が折れそれ以上の強さを求めれなくなったのかも・・・
リョージ君や今のゆーやんのように、周りの人に関係なく高いモチを持ってられる人は凄いと思う。
Ziが出来て通い始めた時もやっぱりそう思った。
強い人が居ないと面白くないって。
そんな感じでだらだらやってた罰なのか、サボってる間に若手に抜かれたりもしてたわけだけど・・・
こういう事書くと、何を偉そうにって思う人も多いだろうけど、強いクライマーと話してると皆同じこと言ってると思う。
ノースフェイスカップの噂を聞いて、2008年末あたりからコンペに復帰してからは結構面白かった。
自分の力があまりに落ちてたので、もう一度この歳でどこまで出来るか頑張ってみようって。
と言いつつも2010年にはスキーにも復帰して靭帯切ったりするんだけど。
靭帯再建後のクライミング復帰も挑戦しがいがあって楽しかったな。
最近歳のせいか思うように力が入らない日が増えてきたのと、肩の事考えるとこのまま続けていいのか考えてモチ低下中です。
元々40歳になったらやめようとか、1000回になったらやめようとか漠然と考えてたので、モチが復活するまで全力で他の遊びするぜ。